岩塩

いろいろもろもろすぐ忘れてしまうのでメモ用にブログ開設しました

トイレによる人類の後退

中学の担任が「二子玉川のトイレなら住める」と言っていた。一年前の12月の話なので、丁度一年前。
自分はトイレで暮らすのは嫌だなと思った。

あれから二子玉川を含めた数々の綺麗なトイレをみてきたけれど、やっぱり共感はできなかった。つい最近オープンしたばかりのショッピングモール、老若男女問わず賑わった水族館、舎を建て替えたばかりの学校、綺麗なことで有名な空港等々。絶対に住める気がしない。

衛生面を気にしているわけではない。自分自身はなるべく清潔でありたい。むしろ、潔癖な部分も割とあると思う。しかし今はそういうことを問題視しているわけではない。

一度、便座に座って考えてみてほしい。いや、人は便座の上で考え事ができるのだろうか。果たしてそこではちゃんと思考能力が働くのだろうか。決して暗いわけではないが明るすぎない照明、尻を受け止めてくれる便座、そして一人きりのその空間は崩れた姿勢も受け入れてくれる。周りには興味が湧くようなものが置いてあるわけでもない。考え事をするには落ち着いた場所が一番良いのかもしれないが、あまりにも気をそらすようなものがないと人はあらゆるものを通り越して無になる。

そう、私はトイレから出るたびに感じることがある。

人間はトイレの中では無になる。

 

生きているとどうしてもマイナスなことばかり考えてしまったり、泥のような記憶が頭から離れないときがある。

そんな時にトイレに逃げてひたすら無心でいるのはそのときの自身にとっては良いことかもしれない。その反面、トイレに滞在すればその分思考能力が弱ってしまう。

無になることが最善だとおもうならばその人はトイレにいればいい。

しかし、私はまだ前に進まなければならないという気持ちがある。学識を得て職に就き、いつか祖父母や親に恩返しをしたい。人生をトイレの中で終わるわけにはいけないのだ。

よって、私はトイレ暮らしに否定する。

 

もしトイレの中でこの文章を読んでいる人がいたら伝えたいことがある。

無になって全て終わってしまう前にはやく尻を拭き、手を洗い、扉を開くのだ。その扉はきっと未来につながっている。

 

腹痛時や吐き気が続くときはしかたないけどな。

 

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